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雄you遊

110号

リレーエッセイ

水戸黄門が歩いた坂戸神社

東関東支店長 内藤 浩信

2018/04/01

 現在、私が住んでいる袖ケ浦市坂戸市場の坂戸神社についてご紹介いたします。
 テレビ放映されている水戸黄門漫遊記ですが、実際には、徳川光圀公は江戸城に滞在しており、水戸に戻った際も茨城県内の調査以外には出かけてはいないそうです。唯一の旅が記載されているのが、旅日記「甲寅紀行」です。47歳の時に水戸から千葉市を経て、内房の海岸伝いに安房湊に行き、そこから鎌倉のお祖母様の墓参りに出かけました。
 甲寅紀行の「袖ケ浦」部分は坂戸神社が中心で語られており、現用字体分として1970年に出版された「水戸義公全集」の中に掲載されています。その中に、前日泊まった姉ヶ崎の妙経寺を出て、東京湾を眺めながら、奈良輪村を経て、市場村(現在の坂戸市場)に入り、「天岩戸伝説」を含む内容を現代風に書き下した文が記されています。
 「左の方に坂戸明神の社が少し小高い丘の上の林の中にあり、社の人が言うには手力雄命を観請しています。その近くめに、天岩戸の流れ落ちた河の巽の川は浮戸といいますが、俗にウケトと言うのは誤りです。またカノという村が近くにあり、そこに八釼池とか蛇堀と言われる池があり、堀の形が長蛇のような形でした。徳川家4代の御朱印の社領が少しあります。それは上総の国望陀群中嶋郷市場村の坂戸明神にあるとしています。」
 ここに示したように大半は「坂戸神社」に関するもので、黄門さんの関心が家康公の寄進した坂戸神社にあった事を示しているとも受け取れます。
 また、坂戸神社は「手力雄命」が奉られています。これは「天岩戸」がこの地に飛んできて、坂に刺さったという故事、手力雄命が逆手で岩を投げたからと言われています。その逆手から「坂戸」という地名になったとされます。
 以上のような事から、水戸黄門さまが千葉県を旅した事を知って頂けた事で満足です。
 現在いろいろな場面で「まちづくり」が語られていますが、地域の古老の方からその地域に住む子供たちへの伝統・伝承などの地域の歴史が語られる機会は少なくなってきています。何らかの形で伝える努力をしなければならない時代です。これを機に、皆様の地域の歴史をひも解いて見てください。

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